今回は平経正(たいら・つねまさ)
を取り上げようと思います。
平経正は平清盛からすると甥にあたる人物です。
経正の父親は、清盛の弟である平経盛です。
経盛は清盛の弟たちと比べると、官位の昇進などでも出遅れておりますが
歌人として”経盛集”を残しています。
経盛の長子である経正もまた、父の文化的側面を受け継ぎ
琵琶の名手として、また雅に秀でた彼のいでたちに
平家一門でも貴公子として扱われていたようです。
清盛死去に伴い、平家一門が西走(都落ち)することになり、
琵琶”青山(せいざん)”が戦乱で消失することを避けるため、
経正は仁和寺の守覚法親王に青山を託すことになります。
その後、一の谷の合戦で経正は戦死。
弟の、敦盛、経俊もここで敗死することになります。
老いた父の経盛にとってはこれほど大きな悲しみはなかったのではないでしょうか。
その後、経盛もまた壇ノ浦で一門とともに入水することになります。
平家物語には、悲劇のエピソードが沢山あります。
経正の弟の敦盛の悲劇や、通盛と小宰相のロマンスなどに
隠れがちではありますが、経正の青山にまつわる
守覚法親王とのやりとりもまた、
平家物語ではその後の平家一門の暗い未来を示唆する
大きなエピソードのひとつなのです。
NHK人形歴史スペクタクル「平家物語」でも
経正のエピソードが出てきます。